我が青春の友に感謝

山口 秀樹(やまぐち ひでき/
京都府立与謝の海支援学校 副校長)
(昭60経営)

 その時は突然やってきた。平成30年11月末日、出張先の大阪市内のホテルで急に足に力が入らなくなり倒れ、自力でフロントに電話して救急車を呼んだ。搬送先の北野病院に即時入院となり、病名は脳梗塞。MRI検査の結果、脳幹部に梗塞が診られた。左半身と右顔面の痺れや痛みを伴う感覚障害と嚥下障害があった。嚥下障害のため、食事は鼻から食道にかけて挿入したチューブからの栄養補給。車椅子による移動が何ヶ月も続いた。ベッドから起き上がることはもう生涯無理なのかなと思ったが、もう一度支援学校の子どもたちの輝く瞳と笑顔がみたいという一念が勝った。ミキサー食からきざみ食。ウォーカーを使っての歩行から杖を使っての歩行と進むにつれてリハビリも厳しさを増したが一歩ずつ前に進んだ。リハビリの背中を押してくれたのは、「明日、今日よりも好きになれる。溢れる想いが止まらない…」GReeeeNのキセキ、「負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事 駄目になりそうな時 それが一番大事…」大事MANブラザーズバンドのそれが大事等の音楽でもあった。
在学中は、村上倫太郎先生のゼミで気の許せる友に囲まれて、発展途上国の経済開発等多くを学んだ。昭和60年3月に経営学科を卒業後すぐに、信用組合の系統中央機関である全国信用共同組合連合会大阪支店経理係配属となったが、当日同志社大学神学部の学生で牧師を目指していた弟の縁で障害のある人に英語を教えさせていただくボランティア活動に携わったことをきっかけに教員を志すこととなり、京都の佛教大学で英語科免許を取得した。その後、東京都東久留米市立大門中学校英語科教諭をスタートとして奈良県五條市立五條中学校に赴任。その後京都府内でいくつかの中学校に赴任するとともに、(財)松下政経塾京都政経塾第1期生として、休日等を利用し、京都市内の銭湯で、大学教員や看護師等々他職種の方々とともに、障害のある人や高齢の人の入浴を介助させていただくボランティア活動に従事した。さらに同府内の京都府立与謝の海支援学校高等部主事、京都府立舞鶴支援学校北吸分校中学部総括主事、京都府立舞鶴支援学校中学部総括主事・小学部総括主事を歴任後、京都府立舞鶴支援学校副校長、京都府立中丹支援学校副校長を経て、現在の京都府立与謝の海支援学校副校長に至る。特に都度の就職等においては、学習院大学の諸先輩方に適切なアドバイスをいただいたことに深く感謝申し上げる。また、桜育会の活動が今後益々充実発展することを願ってやまない。
今回の脳梗塞に関わっては、学習院大学での青春時代をともに過ごした将棋愛好会の東京都在住S君、SF研究会の岡山県在住I君等々数多くの友人から心に染み入る温かい激励の言葉をいただいた。感謝、感謝である。そんな友人から贈られた「描ける時間に無駄はないよ。新たな未来を描けるように祈っています。」という励ましの言葉に胸を熱くしたり、贈られたO神社の御守りを握りしめながら涙があふれたこともあった。卒業から30数年が過ぎ、お互いの居住地は東京都、千葉県、栃木県、北海道、静岡県、愛知県、京都府、岡山県等々様々。時間と場所は離れていても皆かけがえのない唯一無二の友であることをあらためて実感した。南3号館で待ち合わせをして、ともに未来への希望を熱く語り合った青春時代は永遠であったと今も思い出される。
現在は自宅近くの京都協立病院でのリハビリ入院を終え、週2回の通所リハビリに通いながら来年4月からの職場復帰に備えている。その暁には、学習院大学に友人たちと集い、笑顔で語り合いたいものである。また、今も鮮やかに蘇る時に爽やかで時に切ない思い出が凝縮した雑司が谷のアパートを訪れ、青春の足跡が残る鬼子母神や雑司が谷霊園を散策したいものである。さらには、在学中に働くことの意義を教えてくれたバイト先であった雑司が谷の中華レストランのマスターも訪ねてみたい。
リハビリ入院中、理学療法士のK先生と2人、病院近くを散策途上で見上げた満開の桜の美しさは、母校学習院大学の桜を彷彿させてくれた。桜の花言葉は「精神の美」。私も命ある限りその心を大切にしたい。「杖掲げ 桜花爛漫 未来を描け(山口)」。正に冬来りなば 春遠からじである。
最後に、「青春とは心の若さである 信念と希望にあふれ勇気にみちて 日に新たな活動を続けるかぎり 青春は永遠にその人のものである (松下幸之助)」という京都政経塾卒塾記念にいただいた詩と「常に志を抱きつつ懸命に為すべきことを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。」という松下政経塾の素志貫徹の教えを我が胸に、今一度深く刻みたい。

京都協立病院にリハビリ入院中、理学療法士のK先生と何度も上った綾部八幡宮に続く階段です。

福知山城


城崎短歌・城崎俳句コンクール入選発表 城崎温泉観光協会
第22回城崎短歌コンクール
【優秀賞受賞】


令和3年度「障害者週間」体験作文コンクール京都府入賞
佳作 山口 秀樹(やまぐち ひでき)福知山市身体障害者相談員「足跡」


令和3年度「ふくちやま次世代に残しておきたい自然・人・暮らしの写真コンテスト」で優秀賞を受賞しました。
「水車小屋〜北陵うまいもん市雲原店〜」


第23回城崎温泉短歌コンクール2年連続優勝賞でした。



俳優・火野正平さんが、あなたの「こころ」にある忘れられない風景を自転車でめぐります。
にっぽん縦断 こころ旅. BSP・BS4K「朝版」毎週月曜~金曜 午前7時45分 | 再放送 毎週月曜~金曜 午前11時45分.
https://www.nhk.or.jp/kokorotabi/

2022年4月18日放送 1072日目「京都」 月曜|朝版にて「お手紙」紹介
高津駅 満開の桜(綾部市)

主催:公益財団法人 日本脳卒中協会
第24回 脳卒中体験記「脳卒中後の私の人生」入選
【佳作】
「その時は突然やって来た」山口秀樹

京都FM丹波 79.0MHz 福知山コミュニティFM放送ラジオ局で2022年7月6日に僕の脳梗塞体験等へのインタビューが収録されました。



先日執筆したお好み焼きエッセイがラジオ番組「お好み焼のある風景」で放送されました。

令和4年度「障害者週間」体験作文コンクール 京都府入賞
佳作:「こんな世界に」・・・山口 秀樹(やまぐち ひでき)福知山市身体障害者相談員

<福知山市文化協会>
令和4年度「文学のしるべ」建立 短歌・俳句・川柳 短歌部門入賞


令和4年度「第37回障害者による書道・写真全国コンテスト」写真部門(携帯フォトの部)入賞
「おくどさん」 山口秀樹

主催:公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会
実施:全国障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)
協力:各都道府県・指定都市障害保健福祉関係主管課/各都道府県・指定都市応募取りまとめ等協力機関/一般財団法人毎日書道会
後援(予定):株式会社福祉新聞社/障害者福祉センター等全国連絡協議会/全国手をつなぐ育成会連合会/社会福祉法人日本身体障害者団体連合会/公益財団法人日本知的障害者福祉協会/公益社団法人全国精神保健福祉会連合会(順不同)
目的:障害のある方々の文化・芸術活動の促進と技術の向上、またそれらの活動を通した積極的な自己実現と社会参加の推進を目的とします。



「友へ」
 藤井輝明さん(以下藤井さん)は故松下幸之助氏が私塾として立ち上げた松下政経塾(京都)でともに学んだ同志である。藤井さんは、海綿状血管腫という病気のため顔に瘤状の大きな痣があった。そのため子どもの頃から酷いいじめに遭い、大学卒業前の就職面接では、面接官から「その化け物みたいな顔では営業は無理だね。」と言われた。藤井さんが名古屋大学医学部の大学院生、私が中学校教員をしている時、藤井さんの誘いで京都市内の銭湯で高齢者や障害者の入浴を介助させていただく無償ボランティアに参加させていただいた。「どこか痒いところはないですか」と笑顔で利用者の背中を流す藤井さんの顔には大粒の汗が滴りとても美しかった。「僕の顔の痣を嫌って避けられる利用者の方もあるんですよね」と寂しそうに語る藤井さんの言葉に胸が締め付けられた。その後、熊本大学、鳥取大学の医学部教授の激務の中、藤井さんは、全国の学校を飛び回り、自分の瘤状のふわふわした痣を子どもたちに触ってもらうことで見た目差別の解消に尽力した。令和3年の春、勤務していた大学から自転車で帰宅途中、享年64歳で突然天に召された。子ども好きだった藤井さんの5月5日の逝去の報に涙があふれた。脳梗塞から京都府立中丹支援学校に副校長で職場復帰、定年退職した私に再会を楽しみにしていると電話してくれた矢先のことであった。「山口さん、僕は笑顔で生きると決めたんです」という藤井さんの遺してくれた志は、今も私の胸に清々しく生き続けている。
先日、ノンフィクション作家であり、ジャーナリスト、評論家、ユニークフェイス当事者運動の創始者でもある石井政之さん(以下石井さん)が、福知山市の私の自宅を訪れた。石井さんがYouTubeで発信する石井さんと私の対談を撮影するためである。対談の内容は、藤井さんと私との交流のYouTube版。石井さんのナビに私が応えるスタイルで対談は進む。対談では私目線での藤井さんの実像を語る。石井さんも顔に痣があり、藤井さんは、石井さんと私の共通の友でもある。
「ユニークフェイス・チャンネル 第1回 藤井輝明さんについて語る 」より
山口秀樹(昭和60経営)
松下政経塾(京都)第1期生
前京都府立中丹支援学校副校長
現福知山市身体障害者相談員等

令和5年度理学療法の日イベント「私の理学療法体験」川柳コンクールで入選しました。
「歩行器で夢叶うまであとひとつ」

脳梗塞後のリハビリでは、車椅子での移動→歩行器での移動→杖での移動と一歩前に進むにつれて厳しさを増すリハビリを支えてくださったのは、担当理学療法士さんの北風と太陽のような声かけでした。
山口秀樹 (京都府・昭和60年経営卒)


令和5年度「ふくちやま 次世代に残しておきたい自然、人、暮らしの写真コンテスト」

優秀賞  山口秀樹さん「コウゾ干し」




短歌と俳句でダブル入賞しました。短歌の入賞は4年連続となります。・・・山口秀樹【昭60経営卒】

令和6年度「障害者週間」体験作文コンクール京都府入賞
最優秀賞 山口 秀樹(やまぐち ひでき)福知山市身体障害者相談員「顔に痣のある友」

<我が青春>
壮絶な脳梗塞のリハビリ後、京都府立中丹支援学校を副校長で車椅子による職場復帰・定年退職してから見える世界が変わりました。風にさえ色がついているのではないかと思えるほど見るもの全てが愛おしくなったのです。(公社)福知山市文化協会さんが三段池公園の短歌を募集していたので「春桜夏は水鳥秋紅葉冬雪踏て湖畔の夢
よ」と詠って応募するとまさかの入選をして歌碑として建立されたました。
その建立時に同席されていた私の歌を選んでくださった女性選者さんの勧めで彼女が主催している丹波歌人社福知山支部に入会し、月一で仲間たちと歌を詠み、月一で新聞に2首ずつ自分の短歌を掲載するようになりました。
「雨降れば虹がでるよと微笑んだ
全盲の君今ピアニスト」
この短歌が新聞に掲載されると毎週通っている通所リハビリテーションセンターの女性利用者さんに、「あの短歌は山口さんのほんとの体験?その人はほんとにピアニストになったの?」と話しかけられ「大学を卒業して金融マンをしながら全盲の女の子にボランティアで英語を教えてました。ほんとうにピアニストの夢を叶えましたよ」とうれしそうに答えると、「凄い!感動した」と涙を流されました。短歌を通して人と人との新たなつながりが出来ることを実感した瞬間でした。
夏風に任せ、快晴の青空に向かって勢いよく回る虹色の風車たち。綾部市の東光院で元気を貰いました。
「出会えたら素晴らしい人とか心打たれる風景はたくさんあるんだ。出会う前、見る前に諦めちゃいけないよ」という母校学習院大学の宮崎駿先輩の言葉が脳梗塞で生死の境を彷徨った私の心に静かに沁みます。
福知山城の天守閣を見上げるゆらのガーデンの魚福さんで、奈良県五條市立五條中学校教諭時代の教え子、片岡司君と35年の時を越えて再会を果たして旧交を温めました。
彼は、NHKのTV番組や平成琳派として活躍している日本を代表する風景写真家です。彼の作品は高野山の金剛峯寺や滋賀県の慶雲館の明治天皇玉座の間にも展示されています。先日は、京都府立中丹支援学校の子どもたちに写真教室も開いてくれました。
そんな彼の写真と私の短歌のコラボ展を【歌人山口秀樹×写心作家片岡司 2人展】
というタイトルで、大江町和紙伝承館で今春の4月5日(土)10 時から6月1日(日)16時まで開催します。
障害があったり、病気であったりと生きづらさを抱えながら懸命に生きる十色の夢
のカタチを歌に詠み、彼の一服のアートのような風景写真に重ねます。世界遺産の修
復にも活躍している希少な丹後和紙に彼の写真と私の短歌を載せて、どんな物語が展
開されるか今からワクワクしています。
この取組は、丹後二俣紙保存会主催。福知山市、京都新聞、両丹日日新聞社、FM丹
波、丹波歌人社福知山支部、福知山市身体障害者団体連合会後援となります。
<ポスター上でクリックしますと拡大します>

山口秀樹(昭60経営)
メールyama8573@icloud.com
yama1126hide@gmail.com

 阿部敦・横山壽一(共著)『介護福祉従事者の専門性と人材確保政策―養成政策の矛盾深化とラディカル・ソーシャルワークへの期待』東京学芸大学出版会の学術書には、過去現在未来の教育・医療・福祉についての私の見解が計14ページに渡ってインタビュー形式で紹介されている。ちなみにインタビューした大学教員の阿部敦さんとそれに応えた私は、(公財)松下政経塾(京都)のともに第1期生であり30年来の友でもある。横山壽一さんは金沢大学の学長補佐で現在も教育界の第一線で活躍する地域医療のエキスパートである。
インタビューで私がお伝えしたかったことのひとつは、脳梗塞の回復期に入院していた綾部市の京都協立病院のホスピタリティをベースとしたチーム医療の素晴らしさである。転院後もベッドサイドでの生活が主だった私が、医師・言語聴覚士・管理栄養士さんのチーム力で鼻から食道に固定したチューブからの経管栄養を脱して口から食事出来るようになったり、看護士・理学療法士・作業療法士・介護福祉士さんのチーム力で片杖歩行や入浴が出来るようになったり、退院→自宅生活→職場復帰・定年退職→夢を語る歌人・エッセイストとしてのセカンドライフに歩みを進められたのはこの病院の医療従事者の皆様のおかげである。
故松下幸之助師匠から教わった「恩を知る」という言葉。心の豊かさというものにはいろいろあるだろうけれど、恩を知るということは、その最たる一つじゃないかと思う。恩を知ると心が豊かになって、人間といわず天地万物いっさいのものの恵みが、みな分かってくるような気がする。

歩行器で転んだ僕に駆け寄って
ドンマイくれた看護の君よ 秀樹
〜京都協立病院3階病棟にて〜
(綾部市民新聞3/21より)




「お好み焼のある風景」、ラジオ放送第二弾です。

福知山市大江町和紙伝承館
特別展 歌人 山口秀樹×写心作家 片岡司 二人展 開催

福知山市地域自立支援協議会委員
福知山市身体障害者連合会役員
京都府地域相談員
山口 秀樹