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この度、櫻友クラブでは、「衣紋に親しむ会」を開催する運びとなりました。衣紋とは、装束を形良く着こなす方法、つまり装束の着付け・作法を意味し、古くは日本の宮廷装束の「朝服」まで遡ります。唐で着用された「唐様」と呼ばれる「胡服」系の「朝服」も894年の遣唐使廃止に伴い、和様化が進みます。特に藤原氏の摂関政治において、数多くの宮中儀式に様式美が追求される中で、婦人の「朝服」が「十二単」に、男子の「朝服」が「束帯」に大きく変化したことが注目されます。しかし、この変化は単に儀式のためにのみ起こったのではなく、貴族たちが持つ極楽浄土の来世への憧れが衣服にも優雅な曲線美を求めたことや、もっと現実的には、板の間中心の寝殿造りの住居があまりに開放的過ぎて、重ね着をする必要に迫られたことなども原因のようです。武士出身である平家の院政時代には、男子の「朝服」は「板引」という加工を用いて直線を強調し、固く大きく仕立てたものにさらに変化します。これらは「強装束」と呼ばれ、大きく複雑な重ねであったために美しく着るための技術が必要とされました。この技術こそが衣紋であり、この伝統が山科家、高倉家によって現代まで伝えられています。今回は、「十二単」と「束帯」の着装披露はもちろん、何名かの参加者には実際に有職故実(ゆうそくこじつ)に基づく着装を体験していただきます。最近では、皇太子浩宮殿下・雅子妃殿下ご成婚の時の凛々しくも麗しいお姿が記憶に新しいと思います。古代のプリンス、プリンセスの気分で優雅な夕べをお過ごしください。