




旧制高等科理科(S25年)卒業生澤口重徳君が去る平成21年10月7日、胃がんのため東京女子医大病院で逝去された。 享年82歳。
故人(曹洞宗正覚寺第27世、龍谷寺第5世住職、元筑波大学副学長、同大名誉教授、元小児外科学会理事長)は S2年山梨県笛吹市に生まれた。戦前築地にあった海軍経理学校を経てS22年旧制学習院高等科理科に進学、同25年恩賜銀時計拝授首席で卒業、旧制東京大学医学部に進学した。S29年同大卒業後、本格的に国立小児病院(現国立成育医療センター)で小児外科医としての道を志し、その後筑波大学に教授として迎えられ、同大で医学教育人材育成に尽すとともに、わが国小児外科医療の先駆者として多くの足跡を残した。H3年師匠である岳父澤口剛雄先生(正覚寺住職,元学習院大教授)の命により秩父の荒廃した山寺の再興のため得度、仏門に入り同寺住職を拝命、これを完成し大いに檀家から喜ばれた。筑波大副学長を務めた後、H7年岳父急逝の後を継いで正覚寺住職として地域檀信徒のために尽すとともに曹洞宗の布教に努めた。傍ら厚労省委員ならびに小児外科学会理事長として小児がん対策や臓器移植問題、医師の倫理問題にも大きく医学界に貢献した。なお、長年に亘りS22年旧制高等科理科進入生の集まりである「二二理高会」の世話人代表として人望厚く同期生の中心的存在であった。
故人(権大教師、大和尚)の葬儀は川口市元郷曹洞宗永喜山正覚寺山主および総代、寺族澤口彰子夫人(東京女子医大前副学長)同じく寺族澤口聡子息女(福岡女学院こども発達学科 学科長、教授)によって10月12および13の両日、曹洞宗永平寺、総持寺、青松寺、埼玉県曹洞宗代表など大勢の僧侶により盛大に執り行なわれた。式場には学習院桜友会内藤会長ならびに学習院二二理高会友人一同の供花が添えられ、永平寺代表など寺門関係者はじめ筑波大学、東京大学、東京女子医科大学など医学関係者ならびに海軍経理学校・兵学校関係者など多彩な関係者多数が弔問客として列席会葬し、故人の人脈の広さを窺わせた。なお、筑波大学学長山田信博先生、(財)がんの子どもを守る会理事長垣水孝一先生、東大医学部同級生古川俊隆先生(古川俊治参議院議員のご尊父)の弔辞ならびに日本小児がん学会理事長桧山英三先生、国立成育医療センター病院長松井陽先生はじめ多数の弔電披露は故人の温厚な人柄とともに偉大な足跡を偲ばせるものであった。謹んで哀悼の意を表しご冥福を祈ります。合掌 (文責 二二理高会
原雄次郎 )