近代経済国家に必要な4つは平和、政治安定、市場経済、教育だ。江戸時代は、3千万の人が一政権の実効統治の下、250年に亘る安定した平和と、自給自足の中で高い教育水準・高度な文明、市場経済を発達させた世界的に稀有な社会だった。
関ヶ原の戦いが済んで家康は、戦争のない社会を作るという1点に絞った政策を出した。
「百姓をむぎと殺傷の事固く御停止(ごちょうじ)なり、奉行の前に出て対決の上罪となるべし」これが最初のお触の中に入っている。平和が続きしかも戦乱の後、純粋な日本人の知恵に満ちた時代だった。
巨大なインフラ整備で、日本中の河川が今の形になったのは最初の百年間にできたものだ。堀割・川定め・堤防・街道・港を造り、城下町を作り直した。度量衡・貨幣・法律を定め、書類の字を統一した。当時世界最大の江戸上下水道が整備された。上水は多摩川上水を掘り、江戸の手前で木管にして地下に入り3,662の水路に分れて入った。
小さな政府・低い税金・民間への大幅な権限移譲で、市場経済が発展した。江戸町奉行は今の都庁・東京地方裁判所・警視庁・消防庁を合せた様なものだがずっと290人だけでやった。当時世界最大の百万都市が260年平和だった。
徹底した権力と富の分離・高いモラル・厳格な身分社会の中での平等な人格、自由な精神があった。加賀百二万石の前田家の年収が17万両の時、三井の越後屋の売り上げが23万両だった。武家階級が米の生産に最後迄しばられたのに対し町人は金融・産業努力して、豊かになっていった。幕末には各藩とも大借金の山で、幕府の金蔵も空っぽだったので外国とは戦えなかった。