日本のラグビーの黎明と学習院

2013(平成25)年秋、古書店から「学習院グランド・明治三十年代ラグビー試合風景」と表題のついた古写真を購入しました。本当に学習院の写真なのか最初は半信半疑でしたが、学内に保存されていた下の写真から、スクラムを組んでいる学生の後方にある建物は、まさに四谷時代の図書館であることが判明しました。この校舎は1890(明治23)年の学習院四谷移転時に本館として建設されたもので、地震によって本館が使用不能となり1897(明治30)年に取り壊された際、被害の少ない部分が残されて1908(明治41) 年の目白移転まで使用されていたのです。したがって上の写真は、明治30年代の学習院で撮影されたもので間違いありません。

学習院四谷校舎図書館(1908年撮影)

1899(明治32) 年、慶応義塾の講師をつとめていたE·B・クラークが塾生にラグビーの手ほどきをしたのが、日本におけるラグビーの始まりです。クラークとともにラグビーの普及に尽力した田中銀之助は、1884(明治17)年から87年まで学習院に在学し、その後イギリスに留学してリース校やケンブリッジ大学に学びながらラグビーに親しみました。写真中央でスクラムを指導しているとおぼしき人物は、田中に似ています。「学習院輔仁会ラグビー部80年史」には、田中がクラークから依頼されてラグビーを慶応義塾で教える際、「相手が居なくては試合もできない事からかつての母校の学習院にもラグビーを教えた」と記されています。「時事新報」(1905年5月20日)は、「此競技は目下余り広く行はれ居らざれども学習院、第一高等学校等は既に昨年頃より練習し居るといひ…追々学生間に流行するに至るべし」と伝えています。

「輔仁会雑誌」63号(1904年6月)の雑報には、同年3月「陸上部委貝会の決議により新にラクロース、フットボールの両部を」設けたことが記載されています。ほかに明治期の学習院でラグビーが行われたことを示す文書が学内に残されていないか探したのですが、残念ながら発見することはできませんでした。この後、学習院のラグビーは活動の形跡がなく、本格的な復活は1928(昭和3) 年の学習院輔仁会ラグビー部創立をまつこととなります。

明治30年代の学習院では学生による輔仁会活動がさかんに行われ、運動競技では野球・漕艇・陸上・庭球のほか、ラクロス・ボウリングなどの新しいスポーツが持ち込まれました。「輔仁会雑誌」によるとラクロスは1901(明治34) 年から学習院で始められ、田中銀之助はラクロスの指導にも熱心にあたりました。次回はラクロスについての資料と写真を紹介します。 (学習院アーカイブズ 桑尾光太郎・近藤順子)

出典:学習院広報課様ご了承のもと、学習院広報Glife 第95号 (平成27(2015)年12月発行)より転載させて頂きました。

学習院大学ラグビー部

<編注>平成21(2009)3月28日、ラグビー部創部80周年記念祝賀会開催(於・さくらラウンジ)、平成30(2018)5月6日、輔仁会ラグビー部OB会創部90周年記念祝賀会開催(於・百周年記念会館)。