ありがとう・・・学習院沼津游泳会

学習院沼津游泳会とは・・・中等科、女子中等科、初等科で現在も毎夏行われている伝統ある臨海学校において、生徒・児童への游泳指導、および行事の事前準備・後片付け等を行う卒業生助手で組織された団体です。団体創設は昭和43年秋として、平成30年11月に50周年を迎えました。

学習院沼津游泳会50周年記念に寄せて

学習院 院長 内藤政武

 游泳会が昭和43年に発足してから、50年を迎えるという。まことにお目出度いことであり、尚且つ継続の大きな力を讃えたい。そして学校行事としての学習院沼津游泳臨海学校を自らの手で支えたいという、母校支援の行動に、学校法人学習院として感謝と敬意を表するものである。
 アカフンで水泳教練を実行する学習院の游泳場での歴史は明治に遡るが、百年以上継続して実行している学校はほとんど無いくらい、運営は難しい。海難事故、天候被害、指導者不足と指導力の低下、経費不足等々どれを採ってみても、これらを克服しなければ永続きしないのである。それを助けて沼津游泳の授業が充実して続けられているのは50年を迎える游泳会のお陰である。水泳が好きである、子供達が好きである、指導するのが好きである、沼津が好きであるというだけでの問題では無いと思う。游泳会が無かったら、この沼津臨海学校は続かなかったと思う。それを考えると如何に游泳会の貢献が大きかったか、そしてその存在の偉大さに、頭の下がる思いである。重ねて厚く御礼を申し上げる次第である。

何しろボランティアである。皆それぞれに仕事を持っている方々ばかりである。休暇を沼津の日程に合わせて取るだけでも、その遣り繰りにご苦労されていることと思う。
 私は学習院長に就任以来毎年、初等科、中等科、女子中等科の游泳臨海学校に伺っているが、子供達が嬉しそうに、生き生きと浜辺を駆け回り、準備運動をして、海へ飛び込んで行く姿を見て、これが学習院の教育だ、学習授業だけでは無い厚みのある教育だと、つくづく実感するのである。その時いつも脳裏に浮かぶのは游泳会の皆さんの日頃のご苦労に感謝しなければならないなあ、という思いである。
 私はあえて正装で海浜に立っている。子供達が遠泳ではるか沖の方まで泳ぎ出すとき、隊列を組んでキチット泳いで行く、この脇には游泳会の皆さんがばとんど一対一で伴泳する。どんどん姿は小さくなって行くけれども、泳いでいる生徒が陸を見れば、私の姿をかすかながら確認してくれているのではなかろうか、という淡い期待をしながら、なるべく直立不動で立哨している。海からの風は何とも言えず涼やかである。私の気持ちも涼やかである。そして勢いのある学習院がここ沼津でも実行されているという、実感がひしひしと伝わってくるのである。
 これからもこの学習院の素晴らしい伝統行事は続けていく必要がある。なくてはならない沼津臨海学校、これを支えてくださる游泳会に今後も頼らなければならない。游泳会50年の歴史を更に積み重ねていただいて、発展されることを祈るとともに、記念日にあたりお祝いの言葉と御礼の言葉を申し上げる次第である。

50周年記念式典
2018年11月11日 学習院創立百周年記念会館小講堂にて

 

小堀流踏水術について

 小堀流踏水術とは、肥後熊本藩に伝わる游泳術である。細川家が熊本に移封されて以来、歴代の藩主は游(およぎ)を武芸一つとして藩士を奨励した。1700年頃(宝永の頃)村岡伊太夫政文(流祖)が白川天神淵で一流をたてて上土の游の指導にあたった。その子小堀長順常春(初代師範)によって游の本「踏水訣(とうすいけつ)」が出版されている。これは日本における水泳書籍としては最古の刊行物である。平体と立体の游からなり、横体(横泳ぎ)はない(※)。殿様の前で游いだとされる「御前游(ごぜんおよぎ)」は艶游(つやおよぎ)とも言い、小堀流踏水術を代表する游である。甲冑を装着して行う「甲冑御前游」もある。明治維新以降、現在も熊本、京都、長崎、学習院で指導が行われている。熊本県・市の重要無形文化財にもなっている。なお、小堀流踏水術において「游」は浮かび行くこと、「泳」は水中を行くこと(潜泳)とされており、小堀流踏水術の「およぎ」については「游」の表記で統一した。

(※)現在、学習院各科の水泳授業では横体(=横泳ぎ)も指導している。理由は不明だが、水泳指導員の実技試験等に横泳ぎがあることなどが要因として考えられる。また、小堀流踏水術よりも以前に「水府流太田派」の泳ぎを指導されていたことも遠因としてあるかも知れない。

出典:学習院沼津游泳会50周年記念誌