馬術部の歩み

 百四十年の歴史と伝統を持つ馬術部。学習院での馬術教育は、明治十二(1879)年十月十五日の馬術開業式から始まる。当時の学習院は宮内省が所管する学校であり武術教育も重視され、士官教育のために正規の授業で乗馬(馬術)が行われていた。中等学科四年以上と高等学科・海軍予科の教科として「武課」(体操)が設けられ、乗馬がその一科目に定められたのが明治二十三年。この頃になると、学生が行軍演習に騎兵として参加する光景も見られた。 大正時代になると軍事教育の強化により、それまで乗馬だけだった中等学科の武課に馬術が加えられるが、大正八年、乗馬は正規の授業時間外の武課になる。「馬術部」の名称が使われるようになったのはこの時からだ。 対外的な競技会に出場するようになったのは大正十四年から。全日本乗馬大会の障碍飛越競技で高等科三年の小原譲二郎氏が優勝。続く大正十五年の全国高等学校対抗競技大会でも、出場選手三名が優勝した。 昭和二年、現在の目白小学校の敷地内にあった馬場と厩舎は、道路拡張工事で学内南端の現在地に移動。この頃の活動は各種大会への出場が中心で、その成績は輝かしい。昭和二年まで習志野乗馬会の学生障碍飛越競技で三年連続個人優勝し、東京帝大主催の競技会では昭和六年まで四回優勝。また昭和九年の関東学生馬術争覇戦では初出場で優勝し、翌年も連続優勝を果たした。昭和十三年から行われた関東学生馬場馬術競技会では、第三回大会まで連続優勝している。 武課の一環として位置づけられ輔仁会には所属していなかった馬術部も、新輔仁会が結成された昭和十八年、輔仁会所属の団体になった。 高等科在学中の皇太子殿下(現上皇陛下)も輔仁会馬術部に三年間在籍され、昭和二十六年には主将として関東リーグ選に出場されて見事優勝を果たされた。 昭和二十年代、大学と短大にも馬術部が誕生し、大学・短大・高等科からなる現在の形ができあがった。昭和二十五年から始まった成蹊・成城・武蔵・学習院の四大学運動競技大会をはじめ、現在も数多くの大会に出場する学習院馬術部の活躍は、旧来に比較してあえて遜色を見ない。 誇り高い伝統の中に明治時代の「武術」とは違う全人教育の場としての姿を持つ馬術部。部員たちの逞しく温かな心は、まさしく「学習院の誇り」である。

<近況を追記> 平成30(2018)年11月25日、主将安田選手が出場した「第54回全日本学生馬術女子選手権大会」にて、28年ぶりに優勝致しました。

桜鞍会 馬術発足140周年記念祝賀会(於・目白キャンパス馬場)が令和元(2019)年11月24日(日)開催されました。

カドリール(複数の馬で行う供覧馬術)をご覧になる上皇上皇后両陛下