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私は今年五月末の学習院評議員会で学習院長に選任され、急逝された田島院長の残任期を務めることとなりました。私にとって学習院は懐しい母校であり、昔幼稚園から戦争を挟んで高等科迄お世話になりました。その間私は学習院で勉んだというより学習院に育てられたと思っています。戦後の高等科では野球部のピッチャーを務め、教室と野球のグランドとどちらで過す時間が長かったか判りません。高等科の夏の甲子園大会予選では未だ出場校数が少なかった時でもあり、真面目に甲子園行きを夢見たものです。その時の通信簿(成績表)には担任の渡辺末吾先生が(余り良い成績ではないが)「野球を磨けながら、これだけの成績を維持することに敬意を表する」と書いてくれました。学習院とはそんな学校でした。この様な学校生活によって得たものは、倫理観、男の礼儀、先輩後輩との人間関係の他、丈夫な体、勝負の厳しさ等計り知れないものがあり、その後四十年の外交官生活で私の貴重な資産でした。
|  学習院長 波多野敬雄 |