学習院の特長院長 島 津 久 厚
|
 学習院長 島 津 久 厚 |
学習院の特長は何だろうかと言うことが話題とされることがあります。
これには無論人によっていろいろな見方がある筈です。なかには明治時代の末期に院長を勤められた乃木大将の「質実剛健」を連想される人もありましょうし、白樺派によって示される文学関係を思い浮かべる人もあるでしょう。少人数の割にはスポーツが盛んだとの印象を持つ人もあります。宮内省が管轄して旧制度の華族の教育に主体をおいた学校であった時代のイメージを何処かに残している人もあるかも知れません。 |
 目白校地新西門周辺整備イメージ図 |
学習院は弘化四年京都で公家の学問所として開設され、明治維新の際一旦閉講、明治十年に東京で華族会館によって再興されました。その後間もなく宮内省の管轄となって終戟に至り、宮内省が学習院を管轄することが出来なくなりましたので、学習院当局や卒業生、父母の代表、宮内省、それに当時のことですから占領軍の意向も加わって、私学として再発足することになったのでした。国立の学校が私学になったのはわが国で他に例がないかと思われます。これも特長の一つと申せましょう。 |
私学としての学習院の管理の主体は卒業生、父母、教職員の三つのカテゴリーから選ばれた評議員、理事によって運営されますが、こういう形による運営は割に珍しいものかと思います。父母会はPTAではなくて、経営主体の一つである訳です。
全国の大学を持っている学園では、高等学校や中学校は大学の付属校となっている場合が多いようですが、学習院では少し違っています。学習院には大学、女子大学、男女の高等科、男女の中等科、一般には小学校にあたる初等科、それと幼稚園の八つの学校が並列していて、大学の付属校ではありません。学校法人はその世話をする立場にあります。これも一種の特長かも知れません。
キャンパスについて申しますと、これらの八つの学校は三つのキャンパスに分かれてはいますが、緑豊かな約三十万平米のキャンパスが総べて東京の山手線の内側に存在しています。大学から幼稚園まで約一万四千人を擁する学園としては珍しい方でしょう。
学習院の教育面、精神的な面、或いは気質について触れますと、これも人によっていろいろな見方があると思います。
学習院が私学としてスタートした時の安倍能成院長の「正直であれ」「精神的貴族であれ」の精神は今も伝えられていますし、教育目標である「ひろい視野 たくましい創造力 ゆたかな感受性」に共感を覚える人も多いと思います。時の皇后陛下から女子部に頂いた「金剛石、水は器」や「月の桂」のお歌や、安倍院長が作詞された院歌も歴史を思わせるものがあります。
優れた教授や教諭は魅力の的ですし、自由な校風も魅力の一つとして挙げられましょう。少人数教育を目指して分割授業も進められています。
その他いろいろの特長と考えられるものがあると思いますが、それではこのような教育を受けた学生生徒等の皆さんの夫々はどのような特長をもっていると見られているのでしょうか。一律に言うことは出来ませんが、一つの例として就職状況に関する調査で、学習院大学は全国の有名国公私立の大学の中でトップクラスの一つである、と言う報告が発表されたことがあります。無論、調査の手法によっていろいろな結果が出ましょうが、客観性のある一つの見方ではあります。
これに関連したことで、聊か漠然とした言い方ですが「学習院の学生、生徒は人柄がよい」と、よく聞かされることがあります。又、他の学校の先生方からもそれを期待する言葉を頂くこともありますが、これも誇るべき特長の一つであり、それが就職につながっているのかもしれません。
最近、古い卒業生や、長く勤務された先生と話した時に、皆さんが言われるのは、「友達の足を引っ張る学生が少ないように思う」ということでした。これも特長の一つでしょうか。
また、平成三年度から十三年度までの教育、施設、管理の全般に渉る「学習院二十一世紀計画」がたてられ、実行されました。決して完全に計画通りに進んだとは申せないかも知れませんが、相当程度には実現したと思っています。そして、平成十四年度から新しく「二十一世紀をきりひらく学習院−新たな創造と飛躍をめざして−」の副題を持つ十年間の「学習院新長期計画」がたてられました。この計画は相当の時間をかけ、また全学の考えを纏める為に公式、非公式の意見交換会を数え切れない程に繰り返した結果正式に纏まったものです。長期計画を持つ学校は珍しくないでしょうが、学園の総意を挙げて創ることが出来たことは学習院としては聊か誇りとするところです。
これからもこれらの特長を伸ばし、また、若し反省すべき点があれば力を合わせてそれを正して行かねばならないと思う次第です。
|