平成21年5月1日発行第94号 新緑号より抜粋

硬式野球部が優勝記念会
東都大学野球一部リーグ優勝50周年
平成20年11月23日、目白・輔仁会館にて

 昭和33年の東都大学一部リーグ戦はまれにみる混戦状態で、学習院大学、中央大学、日本大学が三つ巴の優勝決定戦にもつれ込んだ。しかも、2回の決定戦を消化した時点でも優勝が決まらず、3回目の決定戦にまでなだれ込んだ。球場もリーグ戦の本拠地である神宮球場が使えず、急遽駒沢球場が最終決着の場となった。 そして、ついに学習院大学が優勝する。11月24日のこと。
 下のワク内の文章は、昭和33年11月24日の学習院大学の優勝を伝える翌11月25日付の「読売新聞」の記事だ。見出しには「学習院の優勝-根立中大を押さえる」とある。小さな見出しで「江野沢3ラン」「学習大、無欲の栄冠」の文字もおどる。優勝旗を受ける勝利投手・根立光夫副主将と観戦中の義宮(現・常陸宮殿下)、清宮(現・島津貴子氏)ご兄妹の写真も掲載されている。
 それから50年経った平成20年11月23日、目白キャンパス・輔仁会館1階の食堂で、優勝50周年記念の会が硬式野球部OB会によって催された。開会後、50年前の熱気が会場に広がった。





主将・田辺隆二氏

勝利投手・根立光夫氏

センター・北田次平氏

 平成20年11月23日の夕刻、輔仁会館1階の学生食堂は異様な空気に包まれていた。50年前の優勝を記念する会がはじまろうとしている。優勝チームの主将でショートの田辺隆二氏(昭34経)、勝利投手となった副主将の根立光夫氏(昭34政)、ウイニングボールをキャッチしたセンターの北田次平氏(昭35経)ほか、優勝チームをきたえた先輩で、当時の一部昇格の原動力となった絶対的エース草刈廣氏(昭31政)ら、学習院大学の野球を語るときに欠かせない往年の名選手が集合していたのだ。さらに、3度にわたる優勝決定戦を戦った相手である日本大学の主将・日置良一氏や専修大学のスラッガーで、のちに広島カープで活躍した興津達雄氏もいる。学外のマスコミもカメラやメモ帳をかかえてスタンバイしている。
 そんな中で記念の会がはじまった。
 OB会長の細谷光太郎氏(昭42経)が開会宣言。つづいて波多野敬雄学習院長、内藤ョ誼桜友会長が挨拶。
 歓談をはさんで、優勝監督である島津雅男氏が当日都合で出席できなかったため、「野球部の発展を祈る」とのメッセージが代読された。その後は、田辺氏、根立氏、北田氏、さらには日置氏、興津氏が、当時の戦いを振り返りながら、それぞれのエピソードを披露した。
 終了にあたって、新任の野球部長・桂木隆夫氏、現在の野球部監督でもある田辺隆二氏が、まずは2部昇格、そして、この会が将来「初優勝50周年」といわれるようがんばりたいと決意を表明した。