・・・相馬さんと学習院の関係、そして思い出などを教えてください。
女子学習院に入ったのは大正13年(1924)で、卒業は昭和6年(1931)、私の知っている女子学習院は5年間です。初めは聖心女子学院に通っていたのですが、先生とケンカばっかりしてましたから関東大震災後そのまま学校に行かなくなったのです。そうしたら翌年に父から電報が来て明日試験があるから出て来いっていうので、当時いた軽井沢から東京に出て行って試験を受けました。その時の女子学習院は、前期4年、中期4年、後期3年があって、私は中期の3年からで、一緒に外から4人が入りました。
そんなこんなで女子学習院に入りましたところ、クラスで華族の方と同じお当番になりまして、そのお当番同士でケンカをしちゃった。それが酒井さんっていう方ですが、酒井雅楽守の子孫だったんですね。でも、お当番があるからそうそうケンカもしてられなくて、結局、仲良しになって、酒井さんとは随分お付き合いしました。お屋敷にも呼ばれて行きましたけど、ビックリしちゃって。我々の家と違ってとにかく大きいでしょ。そういうのが当時の女子学習院だったんですよ。ほかに外から一緒に入った方は、外交官や学校の先生のお嬢さんでした。酒井さんなんかも結構乱暴でしたけれど、なにしろ一番やんちゃだったのは私。負けず嫌いではありましたけど、成績を良くするなんてこと考えたこともなくて。
でもそれを先生方は認めてくださった。本当に女子学習院はおおらかでしたよ。いろんなことを許していただいた。まあ、尾崎さんだからしょうがないわ、って目をつぶってくださって。
国語の佐藤先生という方がいらして、その先生に私が「なんで女子学習院なんかに教えにいらしたの。つまんないでしょ」って聞いたら、先生は、明治維新の元勲の子供たちがどういう教育を受けているかが見たくて来たなんておっしゃってました。その先生も平民の方ですが、大正13年(1924)っていったらわりに、先生も特別に華族だからという接し方はなさらなかったですね。
明治の日本海軍の父で総理大臣も務めた山本権兵衛さんのお孫さんともとても仲良くなってね、山本さんの家に伺うとおじい様が「ああ尾崎の娘か、よう来た、これ食え」なんてお菓子を出してくださってね、そんな調子でした。北白川宮様の御殿にも参りました。北白川宮様は軽井沢に毎夏おいでになりまして、私の家のお隣りでした。殿下のお妹さんが同級だったので、馬を私の家の厩でお預かりいたしました。そのお妹さんも結構おてんばでね、よく話が通じて。特に宮様だから、特別ということもなくて、普通のお友達としてお付き合いしておりました。組は違っておりましたが、遊びの時間はご一緒だし、宮様だからといって手を控えるなんてことは、いたしませんでした。先生も、認めていらっしゃいました。本当にありがたい時代でしたね。
女子学習院での教育が私の根本になっています。本当に正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、はっきりしてらっしやったんです、先生方は。
女子学習院を卒業後は上の学校に行きたかったんです。父が知り合いの方に東京大学に入れるか聞いてくださったのですが、残念ながら女子は入れられません、と。その時父が「勉強は学校だけじゃありません。一生かかってするものです」と言った言葉が強く印象に残っています。昭和6年(1931) 8月に父はアメリカのカーネギー財団に呼ばれてアメリカに講演に行くことになって、勉強になるからと私を一緒に連れて行ってくれました。それからイギリスに行きました。向こうに1年半、行っておりました。その前にワシントンに行って、父はフーバー大統領にお会いしたのですが、帰ってきて父はしきりに残念だ残念だと言ってました。何が残念かと聞いたら日本が日支事変を起こしてますね。父は、日本政府は事態を抑えられないからさらに大きく拡がるといくら言ってもフーバー大統領はじめそこにいた人達は、日本は明治以来ウソをついたことはない、日本政府はこれ以上行かないって言ってるから、それを信じると。今の日本政府はそうはいかないといくら言ってもダメだった。明治以来、築いてきた日本の信用をこれで失う。残念と。その印象がとっても強かった。学校は個人の道徳は厳しく教えてくださったから、個人が正しいことをする大切さはわかっていたけれど、国にもおんなじに正しいことをしなければならないという、個人と国との関係、別扱いではなくて通じてるということを感じました。当時右翼なんかが、尾崎を黙らせろといっても黙らないんです。人がなんと言っても自分が正しいと思うことはやらなきゃいけないということを教わったのはその時。
政治家・尾崎行雄の何を現代の人に伝えたいですか。
世界の中の日本という考えが一番大きいんじゃないでしょうか。今の政治家の方々は日本はもうこれでいいと思ってらっしゃるのでしょうか。どうでしょうか。今は地理的にもイメージ的にも世界は昔よりはるかに小さくなっていて、地球上のどんな地域とも関係があるんじゃないでしょうか。日本あっての世界じゃなくて、世界の中での日本という考えでなくてはいけない。父の影響もあるし、母の影響もあるし、外国に接して受けたいろんな影響もありますけどね。でももとになる考え方というのは、日本は世界の中の一員で、世界を抜きにして日本はないってことですよ。父の言葉を今引っ張り出したら、ちょうど、今の時代に合うんです。昔とおんなじことをまた日本はやろうとしてるのでは。その頃の文章をそのまま持ってきても役に立つようなものが随分ありますよ。
学習院を含めて、これからの子供たちへの教育に何を望みますか。
私ね、日本がまた昔と同じような「天下に冠たる大日本帝国」になりかけてるように感じるんです。世界が小さくなってるから、みんなと仲良くしていくしかないですよね。それをどうやって皆さんにわかっていただけるのかと思って。今の学校教育がどういうものかよくわからないのですが、私たちの頃は先生が皆、私たちのでしゃばりなんかを許してくださったけど、今はみんな心が狭くなってるんじゃないでしょうか。学生の身分なのにそんなことしちゃいかんとか。おおらかさがないでしょ。世界の人たちとコミュニケーションをとっていかなくてはいけない。そのコミュニケーションに大切なのは、相手をおおらかに受け入れることじゃないでしょうか。
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