ホーム > 行事報告 > 平成16年・第11回 法学部会講演会 城と法律と人生と 森山英一氏(昭34政) 元福島地検検事正、現中野公証役場公証人

平成16年・第11回 法学部会講演会 城と法律と人生と 森山英一氏(昭34政) 元福島地検検事正、現中野公証役場公証人

平成16年7月3日 於 記念会館

[法律家として]  子どもの頃から歴史が大好きで、歴史家になろうと思っていた。検事だった父が早く亡くなり、一人っ子で皆が法律家になることを期待した。大学に進学して、司法試験の受験を決意したのが高等科3年の時である。
 昭和30年に小田成光氏が大学在学中に初めて試験に合格した。その後、毎年のように合格者が出た。試験のために結成された法学研究会に入部し、勉強したが、受験者が少数で効果が上がらない。当時大学の先生方もあまり熱心ではなかった。困ったのは卒業してから仲間と勉強する場がなかったことである。部外者に開放されている中央大学の答案練習会に参加し、明治大学の研究会の聴講生にもなる。多数の研究会があり、合格者数を競っていた。大学の支援体制や設備が整っていることに驚嘆した。試験には3回目に合格した。
 試験が難しくなり、合格者が高年齢化し、試験の改革が進められている。当時は合格後2年間の司法研修所教育で知識が平均化され、法曹としての一体感が養われたが、新制度では1年間もなく、研修所の良さが失われてしまう。アメリカのロースクールのようにどの法科大学院を出たかによって評価が定まってしまうのではないか。
 検事は独任制の官庁(一人で国を代表する)であり、公益の代表者である。オーム真理教の解散請求は検察官が行った。
 33年間検察官を勤め、現在は公証人をしている。公証人は11世紀のイタリアに起源し、文学作品に多く登場している。仕事は公正証書作成であるが、最近は遺言・離婚等予防司法的なものが多くなっている。

[城の話]  昭和19年戦局が急速に悪化し、学童疎開も始まった。幸い父の転勤で仙台に行くことになった。その頃の仙台は、城下町の面影がよく残っていた。官舎の前の広瀬川を隔てて仙台城の大手門が見えた。当時の仙台は軍都で、仙台城には第二師団の司令部が置かれていた。大手門は伊達政宗が豊臣秀吉から肥前名護屋城の大手門を拝領したといわれ仙台の象徴である。昭和20年7 月の戦災で消失し、現在まで復元できていない。
 父の弘前出張で弘前城の絵葉書をもらい、ひどく感激する。城がすっかり好きになった。父に頼んで各地の城の絵葉書を集めてもらった。城の絵を描き、城に関する本を集め、歴史書を読むなど、だんだん病膏盲に入る。昭和21年7月に帰京した。
 輔仁会の部で高等科に史学部があったが、中等科の生徒も参加できるというので入部した。活動内容は考古学で意外に思った。先輩には岡田茂弘、徳川義宣、永田良昭現大学長ら諸先輩がおられた。発掘調査などの合宿もあり体育会系と同じ生活で、今でも親しく付き合っている。
 大学入学後、司法試験に合格するまでは城の研究は休眠した。司法修習生になって、日本城郭協会に入会した。江戸城や外国の城にも関心をもった。明治維新の城が現在どうなっているのか誰も調べていない。まず、城の法制から調べてみたらどうだろうかと考えた。昭和45年に「名城と維新-維新とその後の城郭史」を自費出版した。平成元年に50歳になった記念に明治維新のときに存在した約340の城と陣屋の維新後の変遷と現状をまとめて「明治維新廃城一覧」として新人物往来社から刊行した。現職の検事が城の本を書いたというので、各新聞で取り上げられた。仕事が忙しい時は3、4年も城の研究を中断した。転勤を利用して地の城や陣屋を巡った。また、検事の捜査権と個人の調査の落差に驚いた。検事が捜査で手に入らないものはないが、個人で研究するとそうはいかない。
 人間は暇だと何もしない。自分を制約するものが刺激剤になる。自分をむち打つようなものがないとなかなか事はできない。
 研究の成果としては、関連した事項に関心が広がっていくことである。城に関連して軍事、芸術、宗教など色々な分野に興味を持った。城は歴史がわからないと理解できない。西洋史をかなり学んでようやくヨーロッパの城をいくらか理解できた。 (講演要旨)

カテゴリー: 行事報告 タグ: