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第22回経済学部会講演会

第22回
経済学部会
講演会
江戸250年の天下泰平と現代
徳川家第18代当主 徳川恒孝氏(昭39年大政治卒)
日本郵船(株)元副社長、徳川記念財団理事長
平成15年11月19日(水)於 記念会館

 近代経済国家に必要な4つは平和、政治安定、市場経済、教育だ。江戸時代は、3千万の人が一政権の実効統治の下、250年に亘る安定した平和と、自給自足の中で高い教育水準・高度な文明、市場経済を発達させた世界的に稀有な社会だった。

 関ヶ原の戦いが済んで家康は、戦争のない社会を作るという1点に絞った政策を出した。

 「百姓をむぎと殺傷の事固く御停止(ごちょうじ)なり、奉行の前に出て対決の上罪となるべし」これが最初のお触の中に入っている。平和が続きしかも戦乱の後、純粋な日本人の知恵に満ちた時代だった。

 巨大なインフラ整備で、日本中の河川が今の形になったのは最初の百年間にできたものだ。堀割・川定め・堤防・街道・港を造り、城下町を作り直した。度量衡・貨幣・法律を定め、書類の字を統一した。当時世界最大の江戸上下水道が整備された。上水は多摩川上水を掘り、江戸の手前で木管にして地下に入り3,662の水路に分れて入った。

 小さな政府・低い税金・民間への大幅な権限移譲で、市場経済が発展した。江戸町奉行は今の都庁・東京地方裁判所・警視庁・消防庁を合せた様なものだがずっと290人だけでやった。当時世界最大の百万都市が260年平和だった。

 徹底した権力と富の分離・高いモラル・厳格な身分社会の中での平等な人格、自由な精神があった。加賀百二万石の前田家の年収が17万両の時、三井の越後屋の売り上げが23万両だった。武家階級が米の生産に最後迄しばられたのに対し町人は金融・産業努力して、豊かになっていった。幕末には各藩とも大借金の山で、幕府の金蔵も空っぽだったので外国とは戦えなかった。

参勤交代の効用

 毎年毎年、一年在府、一年帰る、翌年誰かが行く。加賀の元気の良い時は四千人の行列で来た。侍以外にもいろんな人が来て一年間江戸にいる。セッセとあちこち見て回る、芝居を見る、剣術を習う、学問所・塾へ行きすっかり都会人になって帰る。
江戸で日本史の文化がミキサーにかかって、幕末になった時、国中の人の何が起こっているかに関する理解力は統一され、これが明治になって新体制に対する順応力だ。

世界一の教育とリサイクル

 完全なリサイクル社会で、古着・切れっ端・使用済の紙・割れ下駄・折れた傘・髪結いの床に落ちた毛・竃の灰・糞尿等全ゆる資源は買われ、再利用再生産され、物が循環していく。紙の製作でも木を切り倒すことは絶対ない。枝を折って紙を漉く。
折ると木が再生できない所で生産を打ちきる等、資源が限界になったら止める。生産・農業・漁業も基本的に同じ考えだ。

 教育は世界最高水準だった。江戸の識学率は男86%女25%だ。当時の英国の労働者では男20~25%女ほとんど読めない。
寺子屋15,000で学び社会に出た。藩校は250位で武家を教育し、一部町民にも許した。他に私塾が2,000あり、年令階層を問わなかった。蘭学・医学・農学・兵学・経営学・心学・宗教と多くあり、好きな人が行けた。教育がこれ程盛んだったのは、教育が高ければ、より高いポストに就くだけ流動性が社会全体にあった。

 米国人ハンレーが言う如く、江戸末で、西欧に遅れていたのは近代工業のみだ。これ以外は全ゆる面で西欧を上回るか、同水準の異質な高度の文明が存在した。資源を過剰に消費せず、乏しい資源を最大限に流用しながら、生活を楽しみ、高い文化水準を維持した平和なものであった。
(文責 江島・南坊)

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