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山梨勝之進・安倍能成両院長を偲ぶ

平成28年6月7日  於:学習院創立百年記念会館小講堂
「山梨勝之進・安倍能成 戦後学習院の出発」式典 来賓挨拶
学習院桜友会会長 東園基政

ご紹介頂いた桜友会長を務めております、東園基政でございます。
本日は、ご挨拶の機会を頂き光栄でございます。又、戦後70年が経過し往時を知る機会が少なくなる中で、この様な式典を開催された学習院当局に敬意を表したいと思います。

既に、内藤院長より山梨、安倍両院長の人となり、ご功績はお話がございました。又、後程ご講演もありますので、両院長の思い出として個人的なことも若干述べさせていただき故人をお偲び申し上げたいと思います。

私は昭和18年に女子学習院幼稚園に入園し、戦火が激しくなり疎開を致しました。
途中、初等科入学のための試験で戻ってきたのは覚えておりますが、入学式があったか記憶がありません。そして、終戦になり、2年生の初めより初等科に戻ってまいりました。
従って、昭和21年の入学式では山梨院長のお言葉が有ったのだと思いますが、記憶がありません。まだ、混乱の中でしたので式典は無かったかと思います。

私の父、基文は仙台伊達藩の出身(旧姓伊達宗文)であり、又、戦時中は当時皇太子殿下で在られた今上陛下のお供をして日光などに疎開をしており山梨院長にご薫陶を頂きました。そして、父からは山梨院長は大変立派な方であり、同郷の関係もあり色々ご指導を頂いたと話しておりました。又、偶然の事ながら、山梨院長がご苦労になられた、学習院の存続についての交渉相手であったGHQ 民間情報教育局(CIE)のD.R.ニューゼント中佐が接収された我が家に居住していた事もあり、ご夫人に英語を習って居りました。
めぐりあわせの機微を感じずにはいられません。
又、昭和24年代に学習院のボーイスカウト隊を設立するにあたり、竹下勇海軍大将共々ご尽力を頂いたと聞いております。
又、目白の校庭にある、「出陣の碑」を見る度に院長の往時のご苦労、お心痛が偲ばれます。

さて、安倍院長は初等科2年生の後半からお世話になりましたが、子供の事ゆえあまり記憶がございません。初等科での式典のたびに、「正直で有れ」「うそをつくな」とおっしゃり、子供心にも強くしみ込んだものでした。
昭和26年5月、中等科生になった頃に院歌が制定され歌いました。最初は意味が分からないままでしたが、その後初等科の「こざくら」に安倍院長が歌詞の意味をやさしくご解説になり素晴らしい歌詞であることを理解致しました。
安倍院長にはボーイスカウト活動をご視察頂き、又、日本のボーイスカウト団の一員としてアメリカへ派遣され、帰国した際には戸澤高等科長と共にご挨拶に伺いねぎらいのお言葉を頂きました。又、大学生になって清明寮に入寮した時にはご講演を頂いたことを記憶しております。
院長が設置された学習院大学はリベラルアーツを基に、社会で活躍できる人材の育成にご尽力いただいた結果、お陰をもちまして桜友会会員は13万に達して社会人として立派に活躍しております。
桜友会は本年95周年を迎え、会員相互の親睦、母校への物心両面の支援を二大柱として活動しておりますが、この活動が出来る事も両院長のご功績によるものと感謝致しております。
取り留めなくお話致しましたが、山梨、安倍両院長を偲び、ご挨拶とさせて頂きます。
ありがとうございました。

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